ザルツブルクとは40余年の縁が続いています。この縁によりモーツァルトのオペラ《魔笛》論を書きましたが、続いてモーツァルトの「ハ短調ミサ曲」(K427)の原稿に取りかかったのが2002年ですが、その原稿が全く進まないので困っています。「ミサ曲」ではモーツァルト一家の個人的な精神史を書こうと考えました。モーツァルト一家が残した「手紙」が一家のことを詳しく伝えてくれるので、原稿を書く前の準備として、手紙の翻訳に着手しましたが、翻訳で頓挫しています。原因は、手紙がドイツ語の古語、方言、ラテン語、隠語、記号で構成されているからなのです。特に一家が服用した薬の処方箋には、この特徴が顕著なので、難儀を極めています。18世紀初頭にはまだ近代医学が発達していなかったので、一家は健胃剤・解熱剤・下剤を服用(薬草とか阿片とか)し、瀉血によって治療していたのです。ちなみに瀉血は、最も用いられていた治療方法ですが、これがモーツァルトの命取りとなったことは皮肉なことです。
そして、薬の服用をしながら、熱心に取り組んだのは、故郷ザルツブルクの教会でミサ聖祭を捧げることでした。モーツァルトの姉・ナンネルはマリーア・プライン教会で1日に15回もミサ聖祭を捧げていますし、一家はロレート教会の幼児キリスト像にミサ聖祭を熱心に捧げています。この像は15センチメートル程の小さな像ですが、今でも人びとはこの像に願いをかけています。
このようにして、苦しくて楽しい原稿は停滞しているのです。